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東大の学生団体に渋谷のギャルサー|にしくんの歴史7

東大の学生団体に渋谷のギャルサー|にしくんの歴史7

高校時代はとにかく色んな所へ行って、色んな人に会いまくった。東大の学生団体から渋谷のギャルサーまで、かなり幅広く出入りした。

東大の学生団体から渋谷のギャルサーまで

男子校進学校の障害者が、mixiというSNSで「高校生 イベント」と検索してたどり着いたのは、お酒っぽい、タバコっぽい。高校生とは思えない、歌舞伎町のクラブイベント。そしたら、胸元が大胆なイケイケのギャルのお姉さんに

「きゃー!可愛い!」

と抱きつかれた。衝撃だった。頭のネジが外れた。ずっとマイナス要素だと思っていた身体が実は武器になるのではないかと思った自分は、外の世界をもっと知ろうとした。その反面、まだ学歴も考慮はしていた。

結果、平日は渋谷のギャルサー、土日は東大の学生団体に出入りした。高校生のイベサーに入った。杉並区の中高生の委員会活動もした。芸能系のフリーペーパー団体や、単発バイト案件もした。数々の高校生と大学生の集まりにも行き、テレビで見て気になった経営者には会いに行った。当時スーパー高校生の、うめけん君(Twitterの「〜なう」を流行らせて流行語大賞を取った起業家)や、ゆづか姫(当時ニコ生界のアイドルで、後のアベノマスクブラで炎上した港区議員)などにも会いに行ったり、後に大炎上するが当時の学生の間で有名だったモモンガハウスなど、とにかく何処にでも行っていた。

勉強に対する考えの変化

高校1年生の頃、中学生でキャバ嬢をしている子に出会った。常識的に見れば不良だ。しかし彼女は、シングルマザーの家庭で歳の離れた弟と妹がいて、家計を支えながら家事もしていた。進学校に通っていた自分や周りの友人が逆に恥かしく思った。なぜなら特に大きな心配もなく先生と親の言うことを素直に聞いて何の疑いもなくただ勉強していればいいのだから。それが、実に恵まれているか。しかし、そんな考えと生き方は、物足りないというかなんだか人間らしくなくてロボットみたいで、虚しく感じた。

そうして、勉強をどんどんしなくなり、初めて赤点を取った時は映画レッドクリフが流行っていたから「赤壁の戦いに敗れたー!」なんて言って、むしろ喜ぶ自分がいた。数学は偏差値が30近く落ちた。ますます夜遊びは加速した。

自分はどこに行っても覚えてもらえる存在だった。良くも悪くもどこでも染まりきれず、どこへ行っても特殊な美味しいポジションになれた。自分に何が出来るのかはよく分からない。しかし、自分にしか出来ないことがあるのではないかと考えるようになった。何より楽しい人生を生きたかった。

高卒の道

高2の終わり、三者面談に呼び出された。担任と親に言われた。

「お前の頭の中はファンタジーか!」

「将来のことを少しは考えろ!お前は今すぐ死ぬわけじゃないだろう。大人になるんだろ!?世の中そんな甘くないんだ。お前の場合は障害もあるんだ。頭で勝負しなきゃ生きていけないだろ!だから大学に行け!」

と、言われた。

しかし、それを言われている時に、頭の中ではこう思っていた。

(´-`).。oO(そうだよ。ぼくの頭の中はファンタジーだよ。世の中の多くの人間は勉強を頑張って、でも世の中の多くの人間はつまらない大人になっているという現実を見てきたよ。僕はつまらない人生は送りたくないよ。だから、頭の中のファンタジーを現実にしちゃおう!)

ところがそんなことは言えなかった。とりあえず、高3の1年間は一応勉強をして受験した。センター試験も受けた。しかし、大学に行く気はなくなっていたし、そんな気持ちで勉強も上達するわけもなく、高卒の道を選んだ。一応進学校の特進クラスにいたから、クラスで唯一の高卒となった。

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