障害者は周りと違う。皆と違うというのは大きな悩みの種になる。そして、周りと違うことはどうしてもいじめの対象になりやすい。
しかし、なぜいじめられたのか?を考えてみると、今思えば自分も悪かった。そして、いじめから学んだこともある。そんな少年期の話。
いじめと少年期
今は障害を乗り越えて、むしろ誇りにすらなっているが、最初からそうではない。
出来ないことが多いことに悩み、周りと違うことに悩み、いじめに悩んでいた。それが、小学校から中3までの話。ここではその期間を少年期として、いじめにフォーカスしてみる。
障害者のいじめ
いじめは、いじめる側が100%悪いと唱える人がいれば、いじめられる側も悪いと唱える人もいる。自分は今となっては、いじめられていた側として、自分も悪かったと思っている。そして、いじめられたおかげで多くを学び成長出来た。
この文章はいじめを肯定しているわけではないし、当時は本当に辛かった。耐えて乗り越えられない人もいるのだからいじめは断固と行ってはならないことだと思っているが、自分も悪かったと考え結果として学び成長した話をしたい。
大人の偏見
大人は障害に対して可哀想という目で見てくる。今思うと、それは一種のいじめなのかもしれない。
もちろん、直接的に嫌がらせする大人はレアケース(たまにいるけれど)である。むしろ、手伝ってくれたり、褒められたり、なんなら可愛がられたりする。ちょっと鬱陶しいけど、ちょっと嬉しい。そんな感じだった。最初は調子に乗るが、だんだん気付く。大人達の、本心ではなく良い人でありたいためとか、見下していたりとか、裏の隠れた気持ち悪さを。それを、幼少期の頃に近所のおばさんや、一部の学校の先生からも感じた。
だから、いつからか大人たちの目と対応が辛くなった。見返してやりたいと思い捻くれたりもした。
純粋な子どもと調子に乗った自分
小学校低学年の頃は人気者だったと思う。クラスでは目立つし、特に上級生に可愛がられた。
しかし、高学年や中学生になると周りと上手くいかなくなった。そしていじめられるようになった。仲間外れにされたり、酷い言葉を浴びせられたり、トイレで水をぶっかけられたり、上履きに画鋲が刺さっていたり、チョークだらけの机と椅子だったり。普通にいじめられていた。
当時は本当に辛かった。
しかし、中学2年生になって原因を究明した。というか、冷静に自分を見直したら、調子に乗っていたし、我ながら自分は嫌な奴だった。
小学校中盤の頃、だんだん大人たちの、障害に対する偏見や、変な同情、裏と表の心理や行動に偽善があることに気付いた。それらが嫌になっていた。そして、見返したくなった。その反面で、障害者だからと甘やかされ可愛がられることに麻痺していた。結果として、やってもらうことが当たり前だと感じてしまうことや、勉強やゲームなど得意なことで他者を馬鹿にしたり見下し返して調子に乗るようになった。あっという間に嫌われた。そしていじめられた。
気に食わないからいじめる。いじめる人間の方は純粋で単純だと思う。人に好き嫌いがあるのは自由だし、自然なことだ。嫌いだからっていじめるのは悪だけれど、その気持ちを理解は出来る。それは理性でコントロールするべきだから、いじめた時点でいじめる人間は心が弱く愚かで最低だと思うけれど、いじめる人間の気持ちも分からなくはないし、自分にも悪いところはあった。
いじめから学んだこと
自分が周りにどう見られているかを研究して、だんだん分かってきた。自分のキャラクターイメージでこういう言動は嫌われて、こういう言動は気に入られる。こういう人とはなかなか上手くいかないから距離をおいた方が良くて、こういう人にはグイグイ行った方が良い。などが分かってきた。
だから、中2になってからはいじめられなくなった。クラスの中心的人物にはなった。しかし、苦痛だった。みんなに好かれる自分を演じることが苦痛だった。演じている偽の自分が称賛されても何も嬉しくなかった。
人を不必要に苛立たせたり怒らせても良いことはない。しかし、自分が無理をして敵を作らず気に入られようとしてもそれはそれで良いことではない。
インフルエンサー活動をしているのに、自分を作らないというのは正解かどうか分からない。少なくとも、人気を得るためには人気になる言動をした方が早いだろう。しかし、偽の自分を演じるのは疲れるし、嘘はいつかバレるし、真実を知られると理想との違いに絶望されるかもしれない。だから、自分は最初からありのままを曝け出すことにして今もそれを貫いている。
空気を読まない行動は問題になる。しかし、空気を読んで何でも行動を合わせることも問題だ。空気を読んで自分の意思を尊重し両方を考慮したベストな行動をしなければならない。時には、あえて空気を読まず調子に乗った方が突っ走れて、成功することもある。結果として誹謗中傷や嫌がらせはある。しかし、自分の意思で覚悟した上での想定内の誹謗中傷や嫌がらせは、いじめに比べれば大したことない。むしろ声援のように快楽ですらある。
そう考えるようになった結果、人生上手くいくようになった。
いじめは良くない。しかし、自分はいじめから強さと成功の秘訣を学んだ。当時は辛かったが、今はいじめに感謝している。当時のいじめっ子の結婚祝いに行ったりもする程に。











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