3歳の時に小児がん「横紋筋肉腫」になった。それが脳にできた。
どう発見したのか?横紋筋肉腫とはなんなのか?どんな症状だったのか?どのように乗り越えて治したのか?がんの発覚から、外科手術、抗ん剤、骨髄移植、放射線をして完治するまで。そして、がんによって得た強さの話。
小児がん「横紋筋肉腫」の脳腫瘍
3歳のある朝、異変が起きる。身体の左半分が動かなかった。
表情も左半分だけ変えられない。左半分が完全麻痺していた。救急車で運ばれる。病名は、横紋筋肉腫。
横紋筋肉腫とは
横紋筋肉腫とは、自分の意思で動かすことが出来る骨格筋から発生する軟部肉腫の1つ。本来筋肉になる未熟な細胞から発生する腫瘍のこと。年間約90人ほどが発生し、多くが小児のがん。内臓、血管、骨以外の身体のほとんどどこにでも発生する。
自分の場合は脳に出来た。右脳が大きく侵食されたため、左半分が完全麻痺した。3歳は、細胞の成長が非常に早い。そして、動いたり喋ったりはまだおぼつかない。だから、すぐには気づかず一瞬にして身体半分が動かなくなるほどの腫瘍になっていた。
外科手術
至急外科手術で摘出しなければならない。しかし、3歳は全身麻酔が出来ないから目を覚まして意識があるまま脳を真っ二つに開いて手術する必要がある。また、大人ですら脳の外科手術はわずかなミスが致命傷で大きな後遺症を残す危険性があるのに、3歳の小さな脳に完全麻痺になる程に大きく絡んだ腫瘍はとてつもなく厳しい手術。だから、手術出来る人はなかなかいない。しかし、偶然にも別件で来院していたお医者さん(「東大のすごい先生がたまたま来てたんだよー」と親は言っていた)が、急遽執刀してくれることになった。
手術は成功した。手術後、久々に少しだけ身体が動くようになった僕は、ナースにお願いした。
「手術後、初めての面会となるこの後、パパとママを驚かせたいから、座って待っていたい!」
顔すら動かなかったから、座るなんていうのは久々で奇跡の回復だった。その時の、無事に手術に成功して、座ることまで出来るようになったぼくを見て、驚きと感動で泣いて笑った親の顔は今でも忘れない。除菌のため、頭にはモジャモジャのビニールを被り、マスクもしていたから、見えていたのは目だけだけれど、声とマスク越しの表情がなぜかしっかり覚えている。
しかし、これで終わりじゃない。
むしろ始まりだ。
抗ガン剤、自家骨髄移植、放射線治療
目先の死を覚悟から、近々死ぬかもしれないに変わったくらいでしかない。今のがん治療は進化しているが、これは1996年の話。しかも、3歳で全摘の難しい小さい脳。生きる可能性はとても少なかった。脳腫瘍を取って終わりじゃない。がんそのものより辛いと言われている抗がん剤(化学療法)、この世でもっとも痛い注射と言える自家骨髄移植(造血幹細胞の自家移植)、様々なリスクのある放射線治療が待っている。物理的に取り除くだけじゃ完全に消えずまた転移したり増殖するから、科学的に徹底的に倒す。しかしこれらは、正常な部分、身体全体にダメージが及ぶ。これからの方がよっぽど辛い。
髪は抜け落ち、身体中が痛いし、毎日のように吐くし、口内炎は14個くらい出来て唾を飲むことすら痛かった。夢は殺される夢を何度も見て起こされる。現実に身体が痛いから、本当に痛い思いをして殺される悪夢だった。
当時、本当に何も食べられず、特に苦手な食べ物は味も匂いも刺激が強すぎるカレーだった。そこで父親は一口食べたらこのおもちゃ、二口食べたらこのおもちゃ、三口食べたらこのおもちゃを買ってあげると言って、「6口食べたよー!」って走って抱きつき褒められたりしたのを覚えている。一日中寝ていては筋肉が衰えると、点滴で固定された手で親とボクシングごっこをしていた。熱が40度を超えた時なんて、母親とオセロをして、医者に「40度の熱でオセロするなんて!」と驚かれた。毎日殺される夢は、いつからか敵から逃れるようになったり、敵に対抗して倒せるようになってきた。
そうして、色々と乗り越えて、約1年の入院生活を経て退院した。
ガンから得た強さ
一番古い記憶は、3歳の時どんよりした曇りの朝。両親が大慌てで、どうしてか身体が動かなくて、ピーポーピーポーうるさい謎の車に乗せられた時。次の記憶は、身体が動かず寝たきりの中、小さなじょうろみたいな物で母親に水を飲まされながら意識朦朧としつつ何か話されている時。その次の記憶が、外科手術後に久々に座って親を驚かせた泣かせ笑わせた時。そして、その後の入院生活の数々を今でも鮮明に覚えている。物心ついた当初の記憶が、それだけの地獄とそれを乗り越えた記憶であることが、将来力強く生きてくことにつながった。今ではそれらの大変だった経験にとても感謝している。
そうして、再発はなく6歳になった。子どもの場合は細胞が活発なので、2年再発がなければ一安心!のはずだったが、安心した時に別の異変に気付く。次の試練が待っていた。










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