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大手IT企業サラリーマン時代|にしくんの歴史14

大手IT企業サラリーマン時代|にしくんの歴史14

ハローワークの職業訓練でiOSアプリ開発を学んだぼくは、無事にIT企業のサラリーマンとして正式にプログラマーになる。

後に上場する新宿の大手IT企業でサラリーマンに

フリーで稼ぎたかったが難しさをしり、職業訓練でプログラミングスキルを取得し、まずは師匠の勧め通り就職をして地に足を付けて自立することにした。

歌舞伎町に住んでいるので、電車に乗って通勤は大変だし、新宿でどうにか就職したかった。

ハローワークを通じて、面接が決まった。一発合格した。高卒ニートは、新宿の後に上場する大手IT企業でサラリーマンをすることになった。

しかし、入社して早々無理だなと思った。学校で50分毎に10分休めて6限までの授業と、会社で昼休み以外ぶっ通しの8時間労働は全然違う。授業は頭はボーっとしてても良いけど、仕事はそうはいかない。体力が持たない。そして、ルールとか、人との交流とか、組織に属して仕事するということも性格的、精神的に大変だった。

仕事内容も甘くない。一応、プログラミングは学んだが、いざ業務となるとできない。これ学んどいて!と渡され、隅っこで学習するだけで終わる期間も長かった。それでも、契約社員入社だったが正社員になれた。学校で皆勤賞を取ったことなんて一度もないけど、生まれて初めて1年間皆勤を取った。ただ、もう辞める心の準備はできていた。

1年は頑張ったし、副業もバレたタイミングで「辞めます!」と伝えた。

「もう少し考え直せ?」「それでいいのか?」と優しく言われ、少し心は揺らいだ結果、22歳の3月31日に辞める決定をして、実際に辞めた。

サラリーマン生活と22歳の3月31日で脱サラ

ところで、副業もバレたと書いた。どのようなサラリーマン生活をしていたのか?

入社してすぐに、会社で昼休み以外ぶっ通しの8時間労働は体力的に辛く、ルールや組織での生活は精神的に辛く、向いてないと分かった。そもそも、就職する気がなく、自由に生きたくて、高卒でも問題ないと考えて、彷徨っていた。だから、いつかは独立したい。でも、会社に行く毎日だけで疲れていては、いつかがいつになるか分からない。だから、1年間だけぶっ壊れるほど動くことにした。

イベンターの頃から毎月多いときは100人、200人と交流していたが、会社員になっても辞めなかった。たまにだが、クラブダンサーなどもしていたし、呼ばれたらどこにでも飛んで行った。サラリーマンをしながらバンタンデザインに通ってデザインの勉強もしていたし、心理カウンセラーやIT関係の資格も取った。

毎朝1時間は勉強することにしていたので、18時まで仕事して、19時からイベントや飲み会に行って、23時に解散するんだけど、深夜1時に「今何してる?」と歌舞伎町に住んでることを知ってる人に呼ばれたら行って、深夜3時まで飲んで、3時間だけ寝て、1時間業務外のプログラミングなど勉強して、9時に出勤をする。そんな生活をしていた。

このブログでは目的の関係上詳しく書けないが、後に1年だけする業界のいろんな人とも仲良くなったり、仕事するようになり、おもちゃをマイクにして、実験やトークをするYouTuberもしていた。その情報はいろんな所ではなしている、YouTubeなどのインタビューでよく聞かれて答えるのでそれを見て欲しい。

とにかく、まだ一般人だったぼくが、YouTubeできる範囲のことをしていただけだが、それが会社にバレた。

禁止されてることも責任を取れるならやっていい

もちろんバレてよかった。堂々と顔出しして、SNSにも載せて、雑誌にも掲載されていたので、バレないわけがない。バレるほど上手くいった時に、バレて注意されたら、責任を取って辞める。それで良いと考えていた。

会社で禁止されているからやってはいけないのではない。会社と両立してやってはいけないだけなのであって、バレるほどに上手くいった頃には会社を辞めていいのなら、やってもいいと考えていた。

そうして、会社を辞めることにした。周りと違うこと、逆のことを選択するぼくは、22歳の3月31日。同級生が大学を卒業し新入社員となるタイミングで、脱サラしてフリーランスになった。

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