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にしくんの夢

にしくんの夢

にしくんの夢について、子どもの頃、そして現在は何を目指しているのか、夢についてのそもそもの考えについて。

子どもの頃の夢

幼稚園生の頃の夢は「おもちゃの開発者」だった。親にふと夢について聞かれたとき、「おもちゃ屋さんになりたい!そしたら、たくさんのおもちゃに囲まれるから」と答えたら、父に「おもちゃを売る人で良いの?」と言われて、自分で欲しいものを考えて作る方が良いと思ったから。

小学一年生の頃は伝記を読むことにハマって、そこでエジソンの本を読み、将来の夢は「発明家」になった。おもちゃは子どもの頃しか好きだが大人になれば変わるだろうし、人々に楽しいも便利も供給できる。思いついた将来作りたいものを思いついたら書く「発明ノート」があった。これが、発想力を鍛えたと思う。

4年生くらいの頃に、夢は数学者・物理学者になった。小学校低学年の頃は、図書の時間が低学年向けの図書室で、つまらない本しかなかったから本が嫌いだった。ところが高学年になると中学生と一緒(小中同じ敷地内の私立学校)の図書館になったので、数学の本に出会い、数学・物理学が好きだったから。

小さい頃は、シンプルに好きな学問の学者になりたいという気持ちだったが、だんだんそんな単純な理由ではなくなる。自分の身体がどんどん不自由になる可能性を考えると、頭しか使わない学者が簡単で現実的だった。いつからか妥協した上での夢だった。

具体的な夢は持たない方が良い

そんなある日、転機が訪れる。高一のころ、mixiで「高校生 イベント」と検索してよく分からずに行ってみた場所は、歌舞伎町の地下のクラブイベントだった。明らかに場違いで逃げようとしたら、「きゃー!かわいい!」と派手なイケイケなギャルに抱きつかれた。皆の視線が一気に自分に向いた。ちやほやされた。使えないと思っていた身体が強みになっていた。

ONE PIECEのチョッパーという、仲間外れ、化け物扱いされたトナカイのキャラの話の中に、Dr.ヒルルクのこのような言葉がある。

「人は いつ死ぬと思う?」
「心臓を銃で撃ち抜かれた時… 違う」
「不治の病に犯された時… 違う」
「猛毒キノコのスープを飲んだ時… 違う!!!」
「人に忘れられた時さ…!!!!」

自分の障害と人生に不安だったとき、この言葉に大きな感銘を受けていた。そして、自分の一番大きな特徴であり問題点であるはずの身体は、目立ち、人に覚えられ、考えに変化を与えることを知った。学者は誰でもなれるから、自分にしかできないことをして、人々の記憶に残ってやろうと考えた。

具体的な夢は捨てた。具体的な夢を設定してしまうと、夢へのルート上ばかりに目が行き、せっかくのチャンスや、想定外なたなぼたないいことがあっても、逸脱した選択はできなくなる。日本は物心ついたころから夢を聞かれ、夢を持つことを求められるが、夢というのは大きすぎて漠然としているくらいでいい。そして、大きく脱線しすぎない程度に、どきどきわくわくしてする方に向かっていけば、楽しそうにしていれば、挑戦を続けていれば、なんか色々と手に入る。

だから今の夢は、言葉にするなら、人の記憶に残りながら、偉人にでもなるかと。でも、どんな偉人か分からないし、偉人という選択肢じゃなくても同じような感じで楽しく生きて満たされていけばそれでいいやと。そんな感じで生きている。

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